■今年は「百合」アニメが熱かった年だった。その中で先日、最終回を迎えたのが『ささめきこと』である。毎回、登場人物たちの心情の機微を繊細に描いた良作であったことは確かだ。今回は、最終回だけを取り上げて「百合」の本質というか、携帯時代のコミュニケーションをあり方を考えてみたい
■主人公純夏が田舎に旅行に行ってしまう。いつもは携帯で意中の汐とコミュニケーションを取っていたので、連絡がつかなくなってしまう。そんな中で「失われたモノ=この場合は日常の何気ない会話」に二人(特に汐)が気づくことで、二人の間は微妙ながらも接近するという終わり方だ。二人の関係性についての物語としては美しい終わり方であった。
■しかし、ここでいわばダシにされているのが、田舎のコミュニケーションと都会の雑踏である。どちらも、つながりたい相手とつながっていなければただのノイズだといえる。しかし、田舎のコミュニティ、コミュニケーション描写が胸つきささるくらい痛いのだ。それは都会と異なり、いわば話しかけてくる相手を無視している純夏がいることだ。
■最近の物語における携帯の役割に注目していたので、ここでは、ある問題性にぶちあたる。ネットや携帯コミュニケーションを通じて、新たな共同体や人間関係が模索されている昨今、村八分という排除を機能させない透明化されたコミュニティが志向されている。しかし、携帯やネットはやはり目の前の人物からの語りかけをすっとばして、つながりたい相手だけとつながるという作用を持っていることは無視できないのではないか。
■倉田監督は、今回の最終回で、純粋な二人の関係を携帯をクローズアップすることで強調したが、同時にみんながつながりたい相手だけとつながっていくという社会性を問題にしたと考えるのは、考えすぎだろうか。
テーマ:ささめきこと - ジャンル:アニメ・コミック
- 2009/12/31(木) 05:30:11|
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