現代アニメ批評-アニメをさらにおもしろく-

現代アニメのストーリー面を主に批評していくブログです。自分の着想や視角をアニメーションをよりおもしろく観る「補助線」として書き綴っていきます。

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『らき☆すた』における家族像

らき☆すた』(山本寛、武本康弘監督 2007年)

★視点・補助線
・『らき☆すた』の中の家族像とは?


■『らき☆すた』について前の「学校の役割」では触れられなかった点について。本作にはメインキャラクターの多くの「家庭」が描かれているという特徴がある。学校の役割についてと同様に、そこにはファンタジーが渦巻いている。ここで表現されている家族像は、「そうありたい」と願う、温かい家族像を提供しているといえる。

■ここには、『らき☆すた』が表現したかったもの、もしくは『らき☆すた』を見る側が欲したものがあらわされている。学校・家庭という「気持ちのいい」空間だ。そこでは摩擦すらも心地よく、「みんながわかりあっている」という前提が存在する、濃密(ハイ・コンテクスト)な空間を描いている。

■人は常に何かに帰属し、どこかに「帰る場」を欲するのが常だが、『らき☆すた』では学校の描写と同様に家族・家庭の描写が多く、そこに視聴者はそこにも「ユートピアとしての故郷」を見ているのかもしれない。

■通常は、オタクの濃密さと家族の結びつきは相容れないことが多く、つまり、親の趣味と子供の趣味がアニメ・マンガ・ゲームで重なることは現10代ならありえるが、20代以上ではほとんどないだろう。『らき☆すた』がそのネタ的に、10代も範囲内としてもやはり20代以上の支持を大きくえていると考えれば、『らき☆すた』の家族像は、まさにその世代間の矛盾点を克服した像を「こなたの家族」で提示しながら「かがみの家族」ではサザエさん的な理想図が提供されているといえる。



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テーマ:らき☆すた - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2008/07/20(日) 15:13:18|
  2. 観察される「オタク」
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さらに濃密な「学校」空間へ:『らき☆すた』

『らき☆すた』(山本寛、武本康弘監督 2007年)

★視点・補助線
・ゆるい学校空間の究極的表現
・同窓会的な居心地の良さとそれがアニメ化される日本の現代アニメ
・『らき☆すた』に出てくるキャラ分類によって、再考を迫られる「萌え」「ツンデレ」「オタク」などの定義


■ここ最近、私が書いたブログ記事でのキーワードが、アニメの「学校空間」なのだが、『らき☆すた』は端的にその特徴を表している作品だ。まず、妄想の渦巻く空間や、「思い出」もしくは「こうありたかった妄想」を投影する空間としての学校が強烈に描かれている。

■メインキャラは女性たちであり、それぞれが「萌え」「ツンデレ」などの要素を象徴する。そして、彼女たちは決して「リアル」な恋をしない。基本的な話題は日常生活で誰もが感じるような疑問だ。この時点でもすでに日本社会限定的知識に閉じているのだが、とくに主人公の「こなた」が印象的だ。

■彼女は、いわゆる「オタク女子(腐女子)」として、オタクの博学さを披露するのだが、その内容は、他のアニメやゲームなどをたしなんでいなければ、理解することはできない。しかし、理解できたときの「同窓会」的の心地よさと知的遊戯の快感がポイントである。

■このアニメは「閉じられている」内容だが、いわゆるオタク人口がここまで増加し、サブカル立国日本と称するまでに至った状況下で、本作はアニメーション化により電波に乗せても多くの支持を得る要素を含んでいた。

■この濃密な知識の世界は、そこの住人には充足感を与えてくれるものであろう。しかし、『げんしけん』によっても表現されていたように、従来は「リアル」な同窓会的なコミュニティにおいて、このような知的欲望は満たされていた。それをアニメが積極的に供給するようになった状況をどう考えるべきだろうか?これについては課題としておきたいが、アニメが『エヴァンゲリオン』などを含め、前のアニメのパロディを繰り返す習性のあるサブカルである以上、『らき☆すた』はこの型を踏襲し、その究極型を突き詰めたものであるといえる。

■また、本作中でも指摘されているが、「ツンデレ」「萌え」などの定義は登場キャラを通じて、その定義の再考が迫られるというメタ・レベルな要請を含んでいる点はおもしろい。そこから生じて、「オタク」とは一体何か、までに考えが及ぶような契機を与えてくれる作品でもある。



テーマ:らき☆すた - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2008/07/14(月) 22:02:16|
  2. 観察される「オタク」
  3. | トラックバック:0
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苦悩するオタク、その後:『げんしけん2』

げんしけん2』(よしもときんじ、2007年)
Genshiken
公式HP
・ストーリー(Wikiへ

■アニメーションの前作は、「観察されるオタク」の話であったが、今シリーズは一転、各登場人物(オタク)の心の中身(おもに苦悩)に焦点が当てられた。そこでは、仮想世界に現実逃避しがちなオタクであるからこそ、悩みはリアルさを増して描写される。

■ただし、今回も「観察者としての他者の目」が数多く導入される。それは「協働」の困難、「性」というリアル。そして、やや強引だが「外国人」の目、そして、就職活動によって登場キャラの葛藤が描き出されるということなどだ。

■少し話はそれるが、この中で荻上の存在は秀逸だ。オタクの苦悩を描くという痛みを伴うストーリーの中で「オタクオタクとして集中できる」妄想的なキャラ、いわば「避難場所」を作り上げている。

■では、話を苦悩するオタクに移すと、オタクの浸る世界とは、オタクでなくとも誰もが浸る妄想世界であり虚無であるが、しかし、そこにも実存在の確かさ、充足や喜びという「確かな」情動が存在していることに、この作品によって気づかされる。

■同窓会的な「思い出共同体」をうまく、そして淡く描き出したことがこの作品が人気を集めた理由だと思う。だが、問いたいことは「思い出共同体」を出たオタクたちが、次にどのような「共同体」に参加し、そこで生きていくかはボヤかされている。これは当然の措置だが、『げんしけん』にはオタクを内側だけから捉えない開かれた視点があったがゆえに、その一番痛みを伴うリアルな部分をどう表現するかも興味があったのだが…

(2007年12月31日に加筆・修正)

テーマ:げんしけん2 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2007/12/31(月) 15:49:28|
  2. 観察される「オタク」
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観察される「オタク」(1):『げんしけん』

『げんしけん』(池端隆文、2004年)
Genshiken
公式HP
・ストーリー(Wikiへ

■いわゆる「オタク」には多くの場合、内向的イメージがつきまとう。実際、閉鎖的な世界感を持つ人が多いのかもしれない。ただし、趣味の世界とは常に閉鎖的であるのではないだろうか?

■また、オタクに注目するのは、彼らが「楽しそうに」「生き生き」と生活しているからでもあるだろう。オタク的に生きることは、実はそこに生きる糧としての「夢」が存在しているのだともいえる。

■では本来、アニメを愉しみ消費する側の「オタク」は、アニメの中ではどう描かれるのか?

■『げんしけん』で描かれるのは、一介のオタクたちの話だが、それを非オタク女性キャラ、春日部咲(かすかべさき)によって外からの眼差しを導入する。もちろん、これは閉鎖的なオタクというテーマを漫画やアニメとして「開放する」ためには必要な眼差しであろう。

■しかし、その春日部も「げんしけん」メンバーと学生生活をともにすることで「オタク」の魅力を発見するのだ。つまり、そこには「生きる原動力」が存在していることをだ。

観察される「オタク」(2):『N・H・Kにようこそ!』に続く…


テーマ:アニメ - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2007/07/28(土) 19:55:10|
  2. 観察される「オタク」
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批評によって「アニメをより面白く」がモットーです。
色んな角度からアニメを観る試みをしたいと思っています。

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