現代アニメ批評-アニメをさらにおもしろく-

現代アニメのストーリー面を主に批評していくブログです。自分の着想や視角をアニメーションをよりおもしろく観る「補助線」として書き綴っていきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『東のエデン』:前半の「リアル」と後半の「フィクション」

『東のエデン』(2009.4-、神山健治監督、フジテレビ系列)

★前半の「リアル」が、後半の「フィクション」を喰っているのではないか(第9話まで)。

■『東のエデン』は、今クールで一番注目している作品だ。しかし、多くの視聴者は第5話あたりからのえもいわれぬ違和感を抱き始めているのではないだろうか。

■その原因のひとつが、前半の「リアル」表現が後半の「フィクション」表現に影響を及ぼしているせいではないかと思う。たとえば、前半には「アメリカ・ホワイトハウス」「就職活動」「パン屋」などのわれわれの住む「現実社会」に関連した舞台装置が登場した。その中で「迂闊な月曜日」と言われるミサイル事件などのフィクションが「リアル」に接合された形で不思議な感覚を生みだし、それが効果的であった。

■しかし、第五話付近から物語の決着をつけるべく種明かしをしていく過程で、前半の「リアルさ」からあまりにも乖離した「フィクション」が描かれだされた。悪く言えばご都合主義的な表現が連発したということであろうか。たとえば、セレソンの一人、白鳥・D・黒羽などの登場する回などである。

■もうすでに前半の「リアル」さは後半のやや破天荒な表現を物語世界につなぎとめておくことができなくなった。第8話―9話で「京都」という場が出現し、「リアル」を演出しようとするが、すでに離陸したフィクションをつなぎとめることはできていないのである。

■「リアル」と接合された装置の出現を、第10話、11話で期待したい。もしくは、必要なのは中途半端さを避けるためのあっと驚くフィクションだろうか。ここで試されているのは、School Food Punishmentが歌うEDテーマ『Futuristic Imagination』、まさにその想像力なのである。


スポンサーサイト

テーマ:東のエデン - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/06/06(土) 00:43:22|
  2. 東のエデン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『東のエデン』第5話まで:非リアル・リアルという二つのセカイが交錯するアニメ

『東のエデン』(2009.4-、神山健治監督、フジテレビ系列)

アニメにおける「労働」とは?
★フィクションであるアニメが、リアルを混在させること


■『東のエデン』は、「分断させた二つのセカイ」を混在させることでストーリーを進めていく。それは記憶をなくし、100億円で「この国」を救うためにセレソンに選ばれた朗のセカイと、就職や恋愛に悩み生きる咲のセカイである。このふたつが二人の主人公を通して交錯するという構造をもつ。そこにさらに、ミサイル「テロ」という背景が混じることで物語を深めている。

■フィクションの中でいくつかの層にある「リアル」を作り出し、それぞれを浮き立たせる演出は秀逸である。それはオープニングで描写される廃墟と主人公、そしてその中にテレビを配置し、東のエデンのOPを映像で流すという二重構造がこれを端的に象徴している。この作品でのリアルは、テロ・戦争のリアルもあるが、就職や社会人などのリアルも語られることが逆に、労働のリアルや若者のリアルを浮き立たせるのである。

■また、朗と咲の二つの「セカイ」が交錯することは、EDで切り絵のそれぞれが反対側であることにも象徴されている。そして二人が重なり合うことで、ひとつのセカイ=1枚の紙となるのである。



テーマ:東のエデン - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/05/08(金) 00:40:07|
  2. 東のエデン
  3. | トラックバック:4
  4. | コメント:0

『東のエデン』(第三話):世界を憎むことと責任から逃避すること

『東のエデン』(2009.4-、神山健治監督、フジテレビ系列)

■現代社会において、われわれは世界(もしくはセカイ)を憎んでいる。どうしてこうなったのか?どうしてうまくいかないのか?もしくは、もっと自分はやれるはずだ。どうしてだれも認めてくれないのか?

■しかし、地位を得て、他者からの承認を得て、そこに責任がついてきたときに自分はどう行動するのか?やりがいがあると思うのか、正義をなそうとするのか?それとも権利を乱用するのか、近藤刑事のように正義をなそうをとしながらも飲み込まれていくのか?

社会的立場へのあくまで冷静な眼差しを欠いている世の中。それはまさに日本社会(世界中にも蔓延しているのは確かだが)である。もしくは責任を参政権や人権思想によって、各個人に分散させた社会体制をとる国はまさにこのジレンマを体験している。ありていにいえば責任の押し付け社会だ。

■誰もが地位は欲しいが、責任は負いたくない。その逃避的社会への解答不能ともいえる現状に対する批判力をもったフィクション(アニメ)として、三話までは評価できる。



テーマ:東のエデン - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/04/24(金) 01:13:43|
  2. 東のエデン
  3. | トラックバック:6
  4. | コメント:0

『東のエデン』(第二話まで):高貴なる義務と社会参加

『東のエデン』(2009.4-、神山健治監督、フジテレビ系列)

■『東のエデン』は現在第二話までの放送だが、そのフィクション性を用いた社会批判は痛烈である。それには、本作のキーワードの一つである「高貴なる義務(ノブレスオブリージュ)」がキーとなり、現代の戦争(テロ・戦争)とも密接に関わってくる。「私たちがある事態に取り掛かるときにはすでに手遅れだ(『機動警察パトレイバー』)」のように、現代戦争・テロは私たちの理解を超えてしまっているのかもしれない。しかしながら、現実的にはそれに「参加」してしまっているが、実体をとらえきれないために対応することができないでいる。また、私たちの生活する2009年の世界は、捉えどころなく、一体に何から手をつけてよいのか途方に暮れる状況だ。そして、社会に参加する回路すら失われてしまっているかのようだ。

■『東のエデン』は、アニメというフィクションそしてゲームという設定を用いながら、現代日本人の誰もがプレーヤー(参加者)であり、そして「高貴なる義務」を負っていることをアレゴリカルに表現している。まさに、日本は「(極)東のエデン(楽園)」なのだ。

アニメの中のプレイヤーとともに「高貴なる義務」について考え、悩み、快感そして恐怖を覚えることで、もう一度社会への眼差しを手に入れることができるかどうか、私は、その実験が『東のエデン』で行われるのではないかと期待している。


テーマ:東のエデン - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/04/20(月) 18:26:27|
  2. 東のエデン
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

プロフィール

anicri

Author:anicri
批評によって「アニメをより面白く」がモットーです。
色んな角度からアニメを観る試みをしたいと思っています。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking ブログランキング・にほんブログ村へ にほんブログ村 映画ブログ アニメ映画へ にほんブログ村 アニメブログ 新世紀アニメへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ サブカルチャー論へ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。