『天元突破
グレンラガン』(今石洋之監督、2007年9月現在放送中)、
公式HP■ヒトの形を成しヒトであるがゆえに、可能性を妄想し、その中で苦しみのない世界で生きてゆきたいと願う。『
グレンラガン』は既に超銀河レベルにまで達した世界観によって、次元や時空を相手に戦うという事態になっている。その中で「違う世界」に囚われてしまうシモンとその仲間たち。しかし、そこが心の中であるがゆえに、アニキは息を吹き返す。
■そして彼は問う。「どちらのアニキかを選べ」と、そして「たら」「れば」ではなく、今ある自分を感じ、知ることの大切さをシモンの心(妄想宇宙)の中で伝える役目を果たす。
■この中では、いわば
アニメという「虚妄」に取り込まれそうになり、「生きる痛み」の逃げ口を求める視聴者に対しての痛烈な攻撃を与えている。もちろん、これは朝8時代から
アニメを早起きして観ている健全な少年・少女たちにとっては痛烈でもなんでもなく、「今を生きる大切さ」程度のメッセージであるが、
アニメ中毒、現実逃避、引きこもり、
ダメオタ、などなどなんでもよいが、その手の「いいオトナ」には痛烈だ。同社
ガイナックスの
エヴァンゲリオンでなされた
アニメ側からの批判が、またここでもなされている。
■前回の
『グレンラガン』(5)の記事で、私は、少年の欲望を満たす
アニメと評したが、これは撤回しなければならない。
■少年の欲望は、青年期を迎え頓挫し、痛みを伴いながら「社会化」されていく。しかし、少年の欲望、換言すると生活内のささやかな希望と夢は、何歳になっても重要な生の要素である。「たら」「れば」に逃げやすい私(あなたも?)だからこそ、『
グレンラガン』の放つメッセージは重く響く。
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『天元突破グレンラガン』(1)〜(5)テーマ:天元突破グレンラガン - ジャンル:アニメ・コミック
- 2007/09/23(日) 22:07:05|
- 天元突破グレンラガン
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『地球へ…』(ヤマサキオサム監督、2007年9月終了)
公式サイト■『地球へ』がラストを迎えた。まとまりよく、キャラの魅力も十分に引き出されていたのではないだろうか。漫画原作ファンが勘違いしてはいけないことは、漫画は繰り返し、立ち止まり読み返すことに耐える媒体であり、
アニメも観返すことはできるが、やはり流れゆくメディアなのだ。この点の違いが、原作→
アニメ化で、原作ファンの不満を巻き起こす主たる要因である。
■さて、『
地球へ・・・』の内容表現で巧かった点、心に残った点は、「
希望」の表現だ。
希望は目に見えない。しかし、
アニメーションなどの象徴力を駆使した表現によって、
希望を感じることができる。本作品は、ソルジャー・ブルー、ジョミー、トニーへと紡がれる世代間の
希望が巧みに表現されており、存分に
アニメの有効性を利用した作品であった。
■現実には人は所詮、一世代(つまり自分の生)を実体験することしかできない。しかし、親がいなければ子は産まれず、また、自身も次世代に何かしら影響を残している存在であることも事実である。ただ、それを実際は実感しづらいということだけだ。本作では、三世代に橋が渡されており、その世代間伝達について象徴的に表現されていた。つまり、「生のない」
アニメーションキャラが、逆に生を持つ私たちに、生における
希望を象徴的に伝えたということである。
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- 2007/09/23(日) 21:32:54|
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『
ロミオ×ジュリエット』

■最終話直前の第23話だが、この期までやはり、ジュリエット中心の語りと内面の描写が続いたのは残念だ。ロミオの内心・内面と葛藤もうまく描く工夫は全体を通じてもっとなされるべきだった。
■以下は、第23話限定の話題になるのだが、ジュリエットは自分の身を捧げ世界を救うために、ロミオは愛する者の運命を受けとめるために、互いに刃をまじえることになる。その際に、ジュリエットが最初から「ロミオの刃から気持ちが伝わってくる」などと「一人語り」するのだが、もし二人の心情をもっと抉り出して前から丁寧に描いていたのであれば、これは無駄な説明で、ただ刃を交えるシーンをセリフなしで流すことができたのではないだろうか。
■テレビ視聴者が思考停止(欲望主導)的な条件反射による
消費者と化しているのは事実であり、説明過多になってしまうのは現実だが、この場面こそは、含みと無言の描写を効かせる最高のシーンであったのでないか。
■最終話前だが、全体的な批評としては、モンタギュー公と大樹エスカラスの話の落差が大きすぎ、前・中半と後半が分断される構成になっている点は残念としかいえない。
・ブログ内関連記事
『ロミオ×ジュリエット』(1)〜(6)
テーマ:ロミオ×ジュリエット - ジャンル:アニメ・コミック
- 2007/09/20(木) 00:17:41|
- ロミオ×ジュリエット
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『
ひぐらしのなく頃に』『
ひぐらしのなく頃に解』(今千秋、2006・2007年)
■『
ひぐらしのなく頃に』は、「
萌え」とホラーサスペンス要素を混在させた作品である。
■人は自分の日常性の中に潜むものをもっとも恐れる。遠くの国で戦争が起こっていても、遠い町で殺人事件が起こっても、それらは世間話として消費する対象にすぎない場合が多い。これは、一種の想像力の欠如として片付けてもよいし、一方で、そう考えないと精神を安定させ正常ではいられないという心理的予防も働いているともいえるだろう。
■『ひぐらし』が人気を博した理由は、
萌え系キャラが豹変したり、謎の死を遂げたりする点にあるといってよいだろう。そこで平和的ユートピア的な精神世界としての「
萌え」が「おそろしきもの」へと変貌するところにホラーがある。
■「
萌え」が、視聴者にとってまさに親近的なものとして意識されてる限りにおいて恐怖を呼び起こす。ストーリー面などお世辞にも質が高いとはいえない本作品が人気を得ていることこそが、「
萌え」の広範化を示すバロメーターとして捉えうるだろう。
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- 2007/09/17(月) 00:19:29|
- 電脳コイル
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『天元突破
グレンラガン』(今石洋之監督、2007年9月現在放送中)、
公式HP■最終話にむけて勢いづいてきた本作品。十分に面白い作品だ。しかし、結末に向かっての深みが感じられない。今までの記事で触れたように、4部構成による時間的な成長過程などは非常にうまく描かれている。しかし、どんどん大きくなる障害をハートと気合で「突き抜けていく」という展開は、本作品がテーマとしている「螺旋パワー」の業(成長し続け、破壊し続ける等)そのものではないのか?この矛盾や問題性に対しての回答が得られない限り、本作は現代
アニメとして成功しているとはいえないだろう。
■これには朝8時代からの
アニメとして、視聴対象への配慮は重要だ。もともと製作側が「いい年した輩が朝から
アニメを見るな」という態度であるならば、何も言うことはないだろう。この態度には一理あるからだ。むしろ、これはオトナの幼稚化への一撃でもある。また穿った見方をすれば、社長辞任を含めて問題を引き起こしている本作であるからこそ、
アニメを純粋に「子供のもの」に引き戻したいという気持ちが現れているのかもしれない。
■ただし今や、宮崎
アニメを代表として
アニメ・漫画が「いい年した輩」が観ることは日本では常態化し、日本アカデミー賞に
アニメ部門が設立されることになった。このことの影響も含め、メディア産業の構造も根本的に変化している。その中で多くの
アニメファンを捉えた『天元突破
グレンラガン』がどのように位置づけられるのだろうか。フィナーレを注視したい。
テーマ:天元突破グレンラガン - ジャンル:アニメ・コミック
- 2007/09/08(土) 08:54:16|
- 天元突破グレンラガン
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■先日、『ライディーン』が終幕を迎えた。ブログではリアルタイムな感想や批評を書いてきたので、最後にその総括を行いたい。
■『ライディーン』は、昔からのロボット
アニメ好きもターゲットに据えつつも、キャラや絵の描き方の細かさや美しさによってさらに広範囲の視聴者を獲得しようとしていた。
■しかし、この試みも
消費型の駄作
アニメーションを生産したにすぎなかったといえる。戦闘でのCG描写の美しさは評価する人もいるかもしれないが、あまりに冗長な戦闘シーンに多くの時間が割かれたことでストーリーの深まりは全く無かった。
■そんな状況下で最終話を迎えたわけだが、結論的には物語性などなかったといってよい。碧乃の正体にせよ、星川の扱いにせよ、ライディーンの謎にせよ、そのすべてが意味不明で中途半端だ。
■映画・ドラマの凋落が著しいと書いたが、この
アニメなどは
アニメ凋落の兆し、もしくは証左になってしまっているのではないか。
テーマ:アニメ - ジャンル:アニメ・コミック
- 2007/09/06(木) 07:35:52|
- REIDEEN
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