現代アニメ批評-アニメをさらにおもしろく-

現代アニメのストーリー面を主に批評していくブログです。自分の着想や視角をアニメーションをよりおもしろく観る「補助線」として書き綴っていきます。

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苦悩するオタク、その後:『げんしけん2』

げんしけん2』(よしもときんじ、2007年)
Genshiken
公式HP
・ストーリー(Wikiへ

■アニメーションの前作は、「観察されるオタク」の話であったが、今シリーズは一転、各登場人物(オタク)の心の中身(おもに苦悩)に焦点が当てられた。そこでは、仮想世界に現実逃避しがちなオタクであるからこそ、悩みはリアルさを増して描写される。

■ただし、今回も「観察者としての他者の目」が数多く導入される。それは「協働」の困難、「性」というリアル。そして、やや強引だが「外国人」の目、そして、就職活動によって登場キャラの葛藤が描き出されるということなどだ。

■少し話はそれるが、この中で荻上の存在は秀逸だ。オタクの苦悩を描くという痛みを伴うストーリーの中で「オタクオタクとして集中できる」妄想的なキャラ、いわば「避難場所」を作り上げている。

■では、話を苦悩するオタクに移すと、オタクの浸る世界とは、オタクでなくとも誰もが浸る妄想世界であり虚無であるが、しかし、そこにも実存在の確かさ、充足や喜びという「確かな」情動が存在していることに、この作品によって気づかされる。

■同窓会的な「思い出共同体」をうまく、そして淡く描き出したことがこの作品が人気を集めた理由だと思う。だが、問いたいことは「思い出共同体」を出たオタクたちが、次にどのような「共同体」に参加し、そこで生きていくかはボヤかされている。これは当然の措置だが、『げんしけん』にはオタクを内側だけから捉えない開かれた視点があったがゆえに、その一番痛みを伴うリアルな部分をどう表現するかも興味があったのだが…

(2007年12月31日に加筆・修正)
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テーマ:げんしけん2 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2007/12/31(月) 15:49:28|
  2. 観察される「オタク」
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絶対的な力を持つ「ゲーム」のルーラー:『機動戦士ガンダム00』と『コードギアス』

機動戦士ガンダム00』(水島精二監督、2007~2008年、現在放送中)
公式HP

■最近のガンダムシリーズはあまりチェックしていなかったが、本シリーズははじめから見ている。ただ、『コードギアス』とあまり変わらない設定に、少し退屈気味であるのが正直なところだ。

■つまり、両者ともに主人公(たち)は絶対的な力を有していて(もちろん美貌だ)、世界(もしくはセカイ)を改変することができる。とうぜん、自分(たち)の力ではどうにもできない葛藤なども描かれることになるが、結局は超越した力、本作の場合はガンダムによって世界に掉さすことになる。

■この『ガンダム00』では世界の紛争や戦争テロも!)をなくすためにガンダムを用いるのだが、紛争、戦争テロに直面している現実世界に生きる私たちにとっては、この設定は「リアル」さを伴って伝わってこない。つまり、特にテロに関しても「アジト」がたやすくわかる類のものではなく、個人や小集団レベルに拡散した行為者(ファクター)に分散してしまっている点が問題であり、この話のようにうまく行かないことを、よほど世間知らずでない限り私たちは知ってしまっているのだ。

■ゆえに「ゲーム性」が高く思えてしまい。ただ、美貌のキャラをカッコいいガンダムに乗せて動かしているだけの作品に見えてしまうのだ。しかし、ストーリーはまだ序盤であり、「ガンダム」という求心力(集客力)に裏打ちされているだけに、ストーリー面でのドギツイどんでん返しや刺さってくるようなリアルなメッセージを放たすことができる余裕があるので、そこに期待したい。

本ブログ内記事:
『コードギアス』

テーマ:機動戦士ガンダムOO - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2007/12/30(日) 15:28:59|
  2. 未分類
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子供と電脳世界の問題性?:『電脳コイル』(第8話まで)

『電脳コイル』(磯光雄、2007年)

■『電脳コイル』には、電脳世界に「不思議」を見て心躍らせる気持ちが丁寧かつ緻密に映し出されている。アニメーションとしての不思議さとワクワクさせる気持ちも十分に盛り込まれていて、現在までで序盤を見ただけだが、素晴らしい出来だと思う。

■だが、シビアに2007年の現実を考えると、電脳世界とは、現時点で目の前のパソコンの画面であり、このアニメのように決してその画面を飛び出してはいない。本作品に登場する子供たちは、結局は町や森や神社に「実際に」赴き、冒険している点は見逃してはならないように思う。

■町や森に電脳世界を投影するのは、これからの「動く電脳時代」には実現可能なのかもしれない。しかし、このSF的な予測をよく考えてみれば、結局は「管理下」の自由を享受するということである。たとえば、電脳と生活世界が結びつく近未来の予測にこういうものがある。それは、携帯などに埋め込まれた個人情報により、子供はいわゆる歓楽街の近くの駅では下車することができないシステムを構築することなどだ。そこでは「してはいけないこと」という倫理的自己判断よりも、「できないこと」という不可能性が上位に来てしまっている。

■このような現況で、このアニメ内の世界のように20年後の子供はこれほどまでに逞しく、また、「自由」を作り出していく余地があるのだろうか?

(2007年12月30日加筆)

テーマ:アニメ - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2007/12/30(日) 02:18:54|
  2. 電脳コイル
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人と人の間にあるものは何か?『創星のアクエリオン』

『創星のアクエリオン』(河森正治監督、2007年)

■TVシリーズ『アクエリオン』とは、設定のほとんどを引き継ぎながらも作品の放つメッセージが、DVDシリーズは少し異なっている。ここで問われているのは、ズバリ「人と人の間にあるもの」だ。この問いの答えは本作品内にあるのでここでは書かないが、アクエリオンの特徴としてアニメーション特有のフィクション性が本作品の神話世界によって強調される。その逆にこのメッセージの呼びかけはいやに現実味を帯びることとなる。

■このフィクショナルな世界からのリアルな問いから何かを感じ取れたなら、TVシリーズも激しくお勧めする(DVDから観始める人は稀有だと思うけども)。また、『アクエリオン』とは「フィクション」と「問い」の距離感は違うが、同じ河森作品で『アルジュナ』なども比較してみると面白いかもしれない。

本ブログ内記事:
『創聖のアクエリオン』
『地球少女アルジュナ』

テーマ:アニメ - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2007/12/28(金) 23:52:56|
  2. 創聖のアクエリオン
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死の事実を継承していく…本当にそれでよいのか?

『ぼくらの』(森田宏幸監督、2007年)
公式サイト

■前クールの作品だが、注目して観ていた『ぼくらの』が終わりを迎えた。常態化する死や、多数のキャラクターをさばききれないことなど、行き当たりばったりで大風呂敷を広げてしまったという印象がする。

■前に何度も本ブログで指摘したように、第5~8話が一番素晴らしかったように思える。死を選ぶことを拒絶した者と死に対して絶望の中で抗うことができなかった者との話は、この設定の中で活かされた話であった。

■結局、最終話は「ありきたり」な英霊譚を子供が語り継いでいくという意味不明なものとなってしまった。まさにアニメで表現するほどのことでもなく、また、「地球は守られたのか」という古典的アニメーションの結論さえ、うまく消化できないという悲惨な形になってしまったことは残念としかいいようがない。

★『ぼくらの』についての過去記事

テーマ:ぼくらの - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2007/12/27(木) 17:40:06|
  2. ぼくらの
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Author:anicri
批評によって「アニメをより面白く」がモットーです。
色んな角度からアニメを観る試みをしたいと思っています。

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