現代アニメ批評-アニメをさらにおもしろく-

現代アニメのストーリー面を主に批評していくブログです。自分の着想や視角をアニメーションをよりおもしろく観る「補助線」として書き綴っていきます。

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「空」想する少女たち:『耳をすませば』と『時をかける少女』:空とアニメ(3)

『耳をすませば』(近藤善文、1995)
『時をかける少女』(細田守、2006)

■「空とアニメ」といえば、やはり宮崎アニメを無視は出来ないだろう。『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』、そして『紅の豚』などなどである。今回は、宮崎駿作品ではないが、ジブリ作品で中学生活をテーマにした作品『耳をすませば』を取り上げ、10年の時代差のある作品『時をかける少女』との対比で考えてみたい。

『時をかける少女』の記事で触れた少年・少女の全能感は、主に「空想」から生じるものである。『時かけ』が「もしも時間を自由に移動できたら」という思春期までによく耽る夢をテーマ化したのに対して、『耳をすませば』ではまさに小説少女が自分の世界観を夢想し、空想するストーリーだ。話の中には、自分の小説世界を自分が猫のバロンと旅し、空を飛ぶシーンが印象的に描かれている。
しかし、そこに「現実」での恋物語、恋の現実がかぶさってくる。主人公の雫が恋する聖司はまさに「自己の夢」の実「現」のためにイタリアにバイオリン職人の修行(!)に行くことにする。ここで、雫の恋はいわば彼の「現実(実現)」にぶちあたってしまう(「現実」「夢」の説明がややこしいが…)。

■『耳を…』の雫の場合は、自分も夢を追いかけようするところに救いが生まれている。しかし、この映画を貫いている「大人的」メッセージ、「少年・少女よ、夢を抱け」は、子供的立場から観ると説教臭さを感じてしまうし、すでに大人になった人間が観ても同様な場合がある。特に現代社会ではそうではないでろうか?

■ここで話をやや一般的な世代論に広げて考えてみたい。今から十年前の1995年にこの映画は上映された。当時の中学・高校生には社会的に(大人からみて)ある不安が存在していたと考える。それはバブル崩壊後の社会の不安感が子供に感染しまいかという不安である。

■当時、社会はやや疲れかけていた。高度経済成長を成し遂げ、バブルの夢を見、そしてそれから醒めかけようとしていたのだ。しかし、人の精神構造は柔軟には変わるものではない。まだ夢の残滓が残っていたということだ。それを子供(受験生なども含めて)に当時、注入しようとしていたといえる。

■この夢の注入が、『耳をすませば』の中には存在している。これに対し、10年の時を経た現代アニメ作品『時をかける少女』はどうだろうか?

以下、続く…
2007/06/21に修正。

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テーマ:スタジオジブリ - ジャンル:映画

  1. 2007/06/19(火) 07:07:21|
  2. 空とアニメ
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  4. | コメント:0
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