現代アニメ批評-アニメをさらにおもしろく-

現代アニメのストーリー面を主に批評していくブログです。自分の着想や視角をアニメーションをよりおもしろく観る「補助線」として書き綴っていきます。

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「空」想する少女たち:『耳をすませば』と『時をかける少女』:空とアニメ(4)

続き…(※注意!ネタバレあり)

■『耳をすませば』と対比するとよくわかるのだが、『時をかける少女』には、「夢」という要素は欠けている。「過去をやりなおす」という万能感をめぐる妄想部分が大きく取り扱われているが、主人公真琴には将来の「夢」などないといってよい。つまり、「待ってられない未来がある」という映画のキャッチコピーも「未来」がただ「ある」ということだけで、具体的には構想されてはいないし、最終部分で未来人で真琴の好きな間宮千昭が「未来で会おう」というが、当然、真琴が生きる未来で彼に会えるとは誰も思わないだろう。つまり、千昭に会うことも具体的夢でもないことになる。

■さて、結論を急いでしまうと、『時をかける少女』には「夢」という、いわば未来への展望はストーリー上に見えてこない。前向きという姿勢だけが真琴のキャラによって示されているだけだ。

■つまりは、『時をかける少女』がこれほどまでに人気を博した理由のひとつとして、その「夢」がなく「前向き」なだけという部分が受けたのではないかと思う。観る側も、10年前の『耳をすませば』とは大きく異なってきた。ただ、20代後半から30代にかけて、『時かけ』が受け入れられたのは偶然ではない。彼らは10年前に『耳をすませば』を経験した世代なのだ。

■10年前に聖司と雫の見た夢を、10年後の現代社会でどれほどまでまともに受け入れられる大人がいようか?一般的に言って、日本の高ストレス社会の中では『時かけ』の真琴の前向きさだけがまぶしくまた好感を持って迎えられる要素である。

■つまりは、「空」想し「空」を駆ける少女たちを観る側、つまり観客の世代こそが、少年・少女たちに自分たちの空想(妄想)を投影していたということではないだろうか。そういった意味でも『時かけ』の紺野真琴は、もっとも非現実なキャラが空想され、美しい映像とともに表現されているといってよい。
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テーマ:時をかける少女 - ジャンル:映画

  1. 2007/06/22(金) 05:39:25|
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