現代アニメ批評-アニメをさらにおもしろく-

現代アニメのストーリー面を主に批評していくブログです。自分の着想や視角をアニメーションをよりおもしろく観る「補助線」として書き綴っていきます。

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「セカイ系」を考えるとき(1)

■本ブログでは「セカイ系」を、登場人物とその空間(空気)との関係性において把握してきた。それが、この多義的な新語を操る上での第一歩であるように思えるからである。

Wikiなどで多くの説明がなされているが、その中で一つ立場を表明すると、私はエヴァの項で触れたように「セカイ系」は『エヴァンゲリオン』から発するものだと考えている。ただ、Wikiの他の説明文については、興味深いし同意もできるが、メディア論や社会学の専門家でない私は、もっと単純なところから「セカイ系」を考えてみたい。

■本ブログでは「セカイ系」をアニメの文化史的側面と、映像文化で忘れてならない視聴者との(一方的ではあるが)相互性から理解し、定義したいと思う。

■アニメの文化史的側面から考えると、「セカイ系」とは勧善懲悪的世界観からの脱却であると考えられる。つまり、セカイの「敵」=「悪の象徴」であるという単純図式をかなり意図的に脱却した作品をセカイ系作品と呼びたい。そこでは、「敵」や「悪」の概念は曖昧である。その中では、主人公(たち)の主観性からくる葛藤や悩みが描かれる。この意味ではかなり広義の「セカイ系」を支持していることになる。

■また視聴者との相互性の問題からすると、思春期を中心として人生の中に絶えず訪れるような、現実世界での自己と世界の葛藤を主人公を通じて追体験させるという作品がセカイ系であると考える。ただ、そこにあるのは、単純な感情移入とは異なっている。たとえば、多くの勧善懲悪作品の場合、自己の強大さや万能感の増大を担保するものが主なモチーフであった。しかし、「セカイ系」の主人公たちには相矛盾する感情を持って見つめる「視聴者のまなざし」が向けられているように思う。ひとつは、セカイの命運を握っているのは私だという万能感の保持(気持ちいい、同化)、そしてもうひとつは、セカイとの衝突によって自己の痛みを感じること(気持ち悪い、異化)である。

■つまり、視聴者に向けては、絶えず視聴の欲望を駆り立てながらも、「難題」を投げかける「キモチ痛い良い」ものが「セカイ系」アニメーションであるように思う。つまり、多くの現代アニメがこれに当てはまるのではないだろうか。

■そこで本ブログでは、視聴者とつながっているセカイをどうアニメが表現しているかを私はこれからも取り上げていきたい。これを批評することこそが、アニメ批評とアニメの良質化を結びつける道だと思うからだ。
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テーマ:映像・アニメーション - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/07/01(日) 23:40:42|
  2. 理論
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  4. | コメント:0
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