現代アニメ批評-アニメをさらにおもしろく-

現代アニメのストーリー面を主に批評していくブログです。自分の着想や視角をアニメーションをよりおもしろく観る「補助線」として書き綴っていきます。

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『ぼくらの』の椅子:語りかけるアニメ(3)

『ぼくらの』(森田宏幸監督、2007年7月現在放送中)
公式サイト
※加筆・修正し再掲載

■今まで『ぼくらの』の中の、その「痛さ」や戦闘における「生と死」の表現について書いてきた。今回は、それらを結びつける象徴物について書きたい。それは、本作品の中で重要な意味をもつ「椅子」についてである。

■簡潔に説明すると、ロボット?「ジアース」の操縦桿である「椅子」はそれぞれのパイロット(主に子供たち)の慣れ親しんだ椅子である。それは勉強椅子や座布団、そしてロッキングチェアーなど様々だ。この「椅子」に座って登場人物は、操縦すると死亡するわけだから、まさに自らの命を賭け闘うのだ。

■さて、この作品の中で「椅子」とは何を示しているのだろうか?それは、その人物にとってかけがえないのない「場」であり、そこに存在したという証である。ありふれた椅子も、そこに座る人間にとっては、交換不可能な「場」であるのだ。

■『ぼくらの』は、ロボ戦闘モノでありながら「死」に大きな意味がある点が従来のロボアニメと一線を画している。それを演出する道具が椅子であり、そのメタファーだといえるであろう。

■この意味で椅子は、まさに自己アイデンティティと関わっている。自分がありふれた存在だと感じることで虚無感に襲われたり、ストレスを感じたりするのが現代社会だ。なぜそんなストレスを感じるかというと既に「世界の広さ」を情報媒介物によって簡単に知りうる現在、「自己のちっぽけさ」や「ありふれた感じ」を知ることは辛いのだ。

■思春期はその「現実」と自己定義の相克であるといってよいだろう。『ぼくらの』では、子供たちが自己が結局は無力でちっぽけだが唯一存在だという、この相克する事実を受け入れて死んでいくことをテーマにしているといえるだろう。

■ちなみにテーマ曲の歌詞にも、かけがえのなさ(交換不可能性)が表現されており、そこにも「椅子」は登場している。

・ブログ内関連記事:『ぼくらの』(1)~(5)
アニメが語りかけるとき:『精霊の守り人』、『地球少女アルジュナ』(1)~(2)
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テーマ:映像・アニメーション - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2007/07/27(金) 23:28:43|
  2. 伝えようとするアニメ
  3. | トラックバック:0
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